エリトリア中央部の360以上の島を持つ群島。最大の島は、沖合58kmのDahlak Kebir島で東京23区とほぼ同じ面積を持ちます。ティグレ、アファ、ダヒリク等を話す人々が住み、昔ながらの漁業や真珠漁、ヤギ・ラクダ飼育などで暮しています。
考古学的にも重要な地域で、8~12世紀のネクロポリス(集団墓地)や、古代アラビア語の墓碑銘、様々な時代の歴史的建造物の遺跡やサンゴ岩でできた貯水池などがあります。
ダハラックは、先史時代まで遡る紅海の古代交易システムを考える上でも重要な地域です。何千年もの間、内陸部への“踏石”として機能し、アクスム王国時代には、エジプトや地中海、インド洋への中継地でした。イスラム文明が到来した際には、ダハラック諸島とマッサワは、文明の中心地となりました。
Kebir島の北数キロにあるAdel近辺には、石造建造物や、道路、前イスラム時代の集落などがみられ、マッサワから6海里のAsarca島付近では、アドゥリスで出土した1世紀のものとよく似たアンフォラを大量に載せた難破船も発見されています。
今日では、ダハラック諸島は、エチオピア統治下の政治囚収容所としての歴史を終え、考古学・歴史、海洋調査地域の中心地という新たな歴史を築き始めました。観光センターも建設中で、NMEによる世界遺産候補リストにも載っています。