エリトリアでは自転車競技が国技といえるほど盛んで、ブラジルにおけるサッカーのように国民の間で絶大な人気を誇っています。レースが行われる日曜日にはみなラジオ片手に実況に熱狂し、大通りはレースを観戦する市民であふれかえります。イタリア植民地時代に自転車競技が導入され、山岳地帯の国土を生かしたトレーニングなどで優秀な選手を生み出してきました。中には1964年の東京オリンピックに出場した選手もいます。近年では国際的に活躍するプロ選手も出てきてサイクリング熱は国内外で高まってきています。そんなエリトリアのサイクリング事情をサイクルライター福光俊介氏の記事でご紹介します。
近年、ロードレースの本場であるヨーロッパで挑戦するエリトリア人選手が増えています。そのパイオニアが、ダニエル・テクレハイマノット(Daniel TEKLEHAIMANOT)。早くにアフリカ大陸のトップライダーになると、2009年から本格的にヨーロッパへ進出。国際自転車競技連合(UCI:Union Cycliste Internationale)の育成プログラムを経て、2012年にオーストラリア籍のUCIプロチーム「オリカ・グリーンエッジ(Orica-GreenEDGE)」と契約を果たしました。
UCIが設定するチームカテゴリーは3段階あり、属するカテゴリーによって出場できるレースも異なります。UCIプロチームはその頂点に位置し、「UCIワールドツアー」と呼ばれるシリーズ戦を主戦場に世界を転戦します。後述のグランツールへの出場も保障されています。つまり、全世界の実力者が集まるハイレベルな戦いの場なのです。
テクレハイマノットはアフリカの黒人選手としては初めて、UCIプロチームとの契約を勝ち取った選手となりました。アフリカチャンピオンとして注目度も高く、3週間でスペインをほぼ一周するグランツールの1つ「ブエルタ・ア・エスパーニャ」には1チーム9名の出場枠に堂々名を連ねるほどの活躍を見せました。「自転車競技」とはいっても、ひとえに括ることができるものではなく、さまざまな競技の種類があります。オリンピックに採用されている種目を例に挙げると、主に一般公道を使って行われる「ロードレース」、バンクと呼ばれる競技場で行われる「トラックレース」、主に未舗装の走路で行われる「マウンテンバイク」、人工的に作られた土の走路を走る「BMX」など。それぞれに独自の競技性を持ち、使われる自転車も大きく異なります。現在、エリトリアの選手が得意としているのは「ロードレース」。いまや、世界のトップレベルに手が届くところまできています。
ロードレースには、1日で200~300kmを走って勝利を競う「ワンデーレース」。平坦や山岳など、日によって異なるコースを複数日にわたって走り、各日の区間成績のほか、期間中の累計タイムで勝負が決まる「ステージレース」とがあります。ステージレースの最高峰は「グランツール」と呼ばれ、誰もが一度は耳にしたことがあるツール・ド・フランスなどが該当します。ステージレースは短いもので2日間からありますが、グランツールともなると3週間で争われます。
どのレースでも個々の成績を争うため、基本的には個人競技とされています。しかし、ハイレベルのレースになればなるほど、複数のメンバーが役割を分担して、チームが設定した目標に向かって走るため、団体競技の色合いが強いのが実態です。戦術も事細かく設定され、その奥深さや人間味あふれる点などが、この競技の魅力とも言われています。
エリトリア自転車界にとって、2013年は大躍進の年となりました。
プロとして2年目を迎えたテクレハイマノットは、7月にスペインで行われたワンデーレース、プルエバ・ヴィリャフランカ・オルディジアーコ・クラシカ(Prueba Villafranca - Ordiziako Klasika)でプロレース初優勝。
さらには、テクレハイマノットに続けとばかりに、4名のエリトリア人選手がセカンドカテゴリーであるUCIプロコンチネンタルチームとの契約を果たしました。
プロコンチネンタルチームは、「UCIコンチネンタルサーキット」と呼ばれる大陸ごとのシリーズ戦を主戦場とするほか、チームの実力や取り組みが評価されればUCIワールドツアーへの招待を得ることができます。4名のエリトリア人選手は、最高峰の舞台にチャレンジしました。
その中でも、フランス籍の「チーム・ユーロップカー(Team Europcar)」に所属するナトナエル・ベルハネ(Natnael BERHANE)は、4月にトルコで行われたステージレース、プレジデンシャル・ツアー・オブ・ターキー(Presidential Tour of Turkey)で総合2位。山岳区間で優勝するなど、8日間で争われたレースにおいて強さを発揮しました。
チーム・ユーロップカーは、ツール・ド・フランスでも活躍するフランスきっての人気チーム。ベルハネはトルコでの活躍もあり、将来のエース候補として多くの関係者やファンが注目する存在となっています。
若手の育成も順調に進んでおり、9月に行われた世界選手権アンダー23(23歳以下)ロードレースでは、19歳のメルハウィ・クドゥス(Merhawi KUDUS)が15位と健闘。プロ予備軍が集まるレースで、将来を期待させる走りを見せました。
エリトリア人選手がロードレースのトップレベルで活躍するようになり10年。2022年は新たな歴史が刻まれるシーズンになりました。
3月下旬に開催された大会、『ヘント~ウェヴェルヘム(Gent - Wevelgem)』でベルギー籍のチーム「アンテルマルシェ・ワンティ・ゴベールマテリオ(Intermarché - Wanty - Gobert Matériaux)」に所属するビニヤム・ギルマイ(Biniam Girmay)が優勝したのです。
この大会は、3月から4月にかけてベルギー北部・フランドル地方で開催される伝統レース群「北のクラシック」と呼ばれるうちの1つで、2022年に開催84回目を迎えた格式高いレースです。これまでも世界トップクラスの選手が数多くタイトルにチャレンジした大会で、ギルマイは初出場で初優勝。エリトリアが生んだニューヒーローに、ロードレース界は「新時代の誕生」を見ることとなりました。
それまでの10年、トップレベルで走るエリトリア人選手といえば「クライマー」と呼ばれる、山岳に強い選手たちばかりでした。ところが、すい星のごとく現れたギルマイは「スプリンター」と呼ばれるフィニッシュ前のスピード勝負を得意とする選手で、今までのエリトリアにはいなかったタイプ。そのうえ、多くの選手を苦しめるベルギー北部特有の石畳の路面にも難なく適応してしまうとあって、一躍スターダムにのし上がったのです。
自転車競技が国技のエリトリアですが、ベルギーはそれをもはるかにしのぐ自転車熱の高さ。同国のビッグレースを勝つことで、人々は誇り高きチャンピオンとして勝者を称えます。伝統と格式を有するヘント~ウェヴェルヘムを勝ったビニヤムは、目の肥えたレース関係者やファンをすっかり魅了し、「チャンピオン」としてその存在を認められることとなりました。
2022年3月27日。歴史はヨーロッパはベルギー北部・フランドル地方で動きました。この日は、名だたる自転車ロードレースの中でも特に格式と伝統を誇るレースヘント~ウェヴェルヘム(Gent-Wevelgem)の開催日。
21歳(当時)のビニヤム・ギルマイ(Biniam Girmay)は、エリトリア人選手唯一出場者でした。2022年に入りすでにヨーロッパのレースで1勝を挙げ、ほかにも上位入賞多数。他の選手やレース関係者の間では、「ギルマイは強い」との評判が少しずつ上がるようになっていました。
ただ、ベルギー・フランドルのレースは他のロードレースとはひと味もふた味も違います。握りこぶし大の石畳が敷き詰められた路面を部分的に走ったり、斜度20%近い急坂を駆け上がるといった大きな特徴があります。それを時速40km…ときには50kmに達しようかというスピードで走るのです。一瞬の瞬発力やパワーがないと、とても太刀打ちできるコースではありません。
いくつもの難所を越え、フィニッシュまで25kmを残した段階で先頭には4人しか残っていませんでした。そこへ加わったのがビニヤム。彼らは後続の追い上げをかわすと、最後はスプリントで優勝争い。そして、一番にフィニッシュラインを通過したのがビニヤムだったのです。
249kmという長丁場のレースにあって、ビニヤムが勝負を決めたのはラスト250m。5時間37分にも及んだ激闘のうち、それはほんの数十秒の出来事でした。
ロードレーサーであれば誰もが憧れ、長きにわたって多くのファンを魅了し続けるヘント~ウェヴェルヘムで、エリトリア人選手としてはもちろん、アフリカ大陸出身選手としても初めての優勝。自転車競技が国技のエリトリアですが、“王国”とも称されるベルギーの自転車熱は比べ物になりません。多くの人が沿道で声援を送り、テレビ中継に釘付けになるほどです。彼らに興奮と驚きを与えたビニヤムの走りは「Making Of History」と名付けられ、称賛されたのでした。
2000年4月2日、4人兄弟の長男として生まれたビニヤム。首都アスマラで育ち、13歳で自転車競技と出会います。
競技の入口はマウンテンバイク。中学生年代のレースでは負け知らずで、2015年には年代別のエリトリア・チャンピオンに輝きます。
本格的にロードレースへとシフトしたのが16歳の時。地域のレースからスタートして徐々にレベルを上げていくと、18歳のときにはジュニアカテゴリーで国内・アフリカ大陸のタイトルを総なめに。この活躍が認められ、競技を統括する団体「国際自転車競技連合(UCI)」が主宰するトレーニングプログラムにスカウトされます。
これをきっかけに、ビニヤムは競技の本場・ヨーロッパへと拠点を移します。順調に勝利を重ねていくと、2020年に念願だったプロチームと契約。このとき所属したNIPPO・デルコ・ワンプロヴァンスでは、日本人選手ともチームメートになっています。
転機となったのは、現在所属するベルギー籍のチーム「アンテルマルシェ・ワンティ・ゴベールマテリオ(Intermarché - Wanty - Gobert Matériaux)」への移籍でした。2021年5月に前所属チームを退団し、3カ月の準備期間を経て合流を果たすや上位入賞を連発。9月にはヨーロッパで初めてとなる勝ち星を挙げるなど、快進撃を演じます。
極め付きは、同じ9月に開催されたロード世界選手権。その名の通り、ロードレースの世界ナンバーワンを決める戦いです。アンダー23(23歳未満)部門に出場したビニヤムは、優勝こそ逃したものの2位となり、エリトリア人選手として初めて世界大会の表彰台へ上がったのです。この走りで、ビニヤム・ギルマイの名は世界にとどろき、一流選手として認められることとなりました。
そして、2022年に入っての大活躍。今日に至るまで、ときに大変な場面もあったでしょうが、世界のトップで活躍する伏線はいくつもあったことがうかがえます。
エリトリア人選手が世界のロードレースシーンに現れ始めた2010年代前半、彼らの特徴は、高地で鍛えた心肺機能と身体能力を生かした山岳での走りと見られていました。確かにその通りで、ダニエル・テクレハイマノがツール・ド・フランスの山岳賞ジャージを着用したり、ナトナエル・ベルハネが山岳レースで圧倒的な強さを見せたりと、山での強さこそがエリトリア人選手の魅力でした。
しかし、いま台頭しているビニヤムは、これまでのエリトリア人選手の見方を変えようとしています。
彼はロードレース界では「スプリンター」と呼ばれる、フィニッシュ前でのスピード勝負を得意とする選手に分類されるのです。前述したダニエルやナトナエルが「クライマー」だったので、その対極にビニヤムは位置づけられます。今までのエリトリアにはいなかったタイプのレーサーであると同時に、この国がスプリントでも世界に通用することを証明しているといえるでしょう。
また、ビニヤムは前記した石畳や急坂でも実力を示しています。ロードレースの大多数が舗装された道路上を走る中、石畳での走りに適応する選手は“特殊能力”の持ち主とも言われます。
その意味でビニヤムには、標高2325mのアスマラで鍛えられた心肺機能に、持って生まれたスピードとパワー、そして悪路にも動じない“特殊能力”が備わっていると見ることができます。ここまでいくつもの高い能力を持つ選手は世界的にも稀で、この先長きにわたって世界のトップを走り続けることは間違いありません。
ヘント~ウェヴェルヘムでの優勝はビニヤムだけでなく、所属するアンテルマルシェ・ワンティ・ゴベールマテリオの勢いにもつながりました。
このチームは歴史が浅く、規模の大きなレースでのタイトルには手が届いていませんでした。それがビニヤムの大活躍によって一変。若い選手を中心に次々と好成績を挙げ、あっという間に強豪チームの仲間入りを果たしました。何より、自転車どころベルギーに拠点を置くチームです。名実ともにトップクラスに達するのは時間の問題でしょう。
5月にヨーロッパへと戻ったビニヤムは、次なる目標としてジロ・デ・イタリアに出場しました。この大会は世界最大のロードレース「ツール・ド・フランス」とほぼ同規模で、3週間かけてイタリア各地をめぐる長い戦いです。ビニヤムの目標は、「ステージ優勝」といってその日の1位選手を決める勝負を制すること。絶対的な武器であるスピードを生かして、キャリア最高の戦いへと挑みました。
そして、大会初日から人々を驚かせることとなります。第1ステージでいきなりの2位。それも、あわや優勝かと思わせるほどの思い切りのよい走り。観る者に「近いうちに必ず勝つだろう」との思いを抱かせると、すぐさまその日はやってきました。
第10ステージ、丘陵地帯を走ったレース後半に多くの選手が苦しんだ中、ビニヤムは終始好位置を走り、優勝争いに加わります。そして最後の300mで集団から飛び出すと、後続の追い上げをかわしてトップでフィニッシュラインを通過したのです。
エリトリア人選手として初めてとなる、ジロでの優勝。これは、自身のみならず純アフリカ系選手としても初めてとなる快挙でした。
いまやすっかり世界の一流ライダーに仲間入りしたビニヤム。将来的にはツール・ド・フランスやロード世界選手権をはじめとするビッグレースでの優勝が期待されます。ビニヤム・ギルマイが、そしてエリトリアが世界を席巻する未来はそう遠くはないはずです。
アンテルマルシェ・ワンティ・ゴベールマテリオ所属
2015年 マウンテンバイク国内選手権 優勝
2018年 アフリカ大陸選手権 ジュニア部門3冠(ロードレース、個人タイムトライアル、チームタイムトライアル)
2018年 オベル~ティミステ~スタヴロ 第1ステージ優勝
2019年 ラ・トロピカル・アミッサ・ボンゴ 第3ステージ優勝
2019年 ツール・ドゥ・ルワンダ 第5ステージ優勝
2020年 ラ・トロピカル・アミッサ・ボンゴ 第3ステージ優勝
2021年 クラシック・グラン・ブザンソン・ドゥー 優勝
2021年 ロード世界選手権 アンダー23(23歳未満)2位
2022年 トロフェオ・アルクディア 優勝
2022年 ヘント~ウェヴェルヘム 優勝
※2022年4月時点
大舞台での鮮烈な勝利から2年、ビニヤム・ギルマイは再び新たな歴史をロードレース史に記すこととなりました。
2024年6月29日から7月21日まで開催されたツール・ド・フランス。ビニヤムはこの3週間で大きな飛躍を遂げました。全21ステージで争われる世界最大の自転車ロードレースイベントで3勝を挙げ、ポイント賞を獲得。最高のスプリンターの称号でもあるサイクルジャージ「マイヨ・ヴェール」を獲得したのです。
ビニヤムの快進撃は、第3ステージ(大会3日目)から始まりました。大会開幕から日が浅く、大多数の選手が好調で迎えていたこの日、レースは序盤からハイペースで進行しました。特に終盤はフィニッシュ前での勝負に備えるため、集団の中で激しい位置取り争いが繰り広げられます。この日の優勝候補選手がタイヤをパンクさせ後退したり、選手同士の接触でクラッシュ(転倒)が起こったりする中で、終始ビニヤムは好位置をキープします。
世界の名だたるトップライダーによるフィニッシュ前でのスプリント勝負。時速70kmに達しようかという驚異のスピードでの争いで、ビニヤムが頭ひとつ抜け出し、一番にフィニッシュラインを通過。ついに、ツール・ド・フランスでエリトリア人選手が勝利を挙げる日を迎えました。
それはビニヤム個人にとってだけではなく、エリトリア人選手としても初めての快挙でした。かつてツールの舞台に立ったダニエルやナトナエルでさえも果たせなかった、「ツール・ド・フランスでの勝利」をビニヤムが成し遂げたのです。
「ツール・ド・フランスで勝つことは、最高のスプリンターの中で勝利すること」と、その価値を語ったビニヤム。その走りは1勝にとどまらず、5日後の第8ステージ(大会8日目)、さらには第12ステージ(大会12日目)でも勝って、3勝。ヨーロッパのサイクルメディアでは、その快挙をサッカーになぞらえて「ハットトリック」と称しました。
勝てなかった日でも、コンスタントに上位フィニッシュを続けたことが功を奏します。
ツール・ド・フランスには、4つの大きな賞が存在します。最大の栄誉が個人総合時間賞(全21ステージで最も少ない所要時間で走った選手に贈られる)の「マイヨ・ジョーヌ」。これに続くのが、全21ステージを通して最も多くポイントを獲得した選手に贈られるポイント賞「マイヨ・ヴェール」。ビニヤムは、エリトリア人選手として、そしてアフリカ系黒色人種のライダーとして初めてマイヨ・ヴェールの栄誉に与りました。
ポイント賞は、コース途中とフィニッシュそれぞれでの通過順位によって決められた得点が当該選手に付与される仕組みで、ビニヤムが得意とする平坦コースではより多くこの得点が与えられるようシステム化されています。つまりは、彼のような「スプリンター」と呼ばれる選手たちが同賞に輝けるよう、大会側の配慮がなされているのです。
いわば、スプリンター最大の栄誉であるマイヨ・ヴェール。フランス語で「緑のウエア」を意味し、同賞でトップを走る選手は大会期間中、グリーンを身にまとってレースを走ることが許可されます。ビニヤムは、この緑を17日間連続で着用し、今大会の最終目的地・ニースへと運ぶことに成功。大会終盤はライバルが総獲得ポイント数で追い上げてきたものの、トップを守り抜いて初のポイント賞受賞を決めました。
ポイント賞獲得に寄せて、ビニヤムは「これをアフリカ人選手飛躍のきっかけにしたい」と口にしました。同時に、エリトリアの若い選手たちの希望になりたいとも。
2024年のツール・ド・フランスは、史上初めてイタリアで開幕し、閉幕後すぐに始まるパリ五輪に配慮してこれまた史上初めてパリ・シャンゼリゼに到達しない大会でもありました。そんななかでビニヤムが達成した幾多の記録は、初もの尽くしのツールにふさわしい“Makes History”の数々。同時に、世界有数のロードレーサーとして地位を確たるものとする活躍でありました。
ロードレースの世界で活躍するエリトリア人選手の多くがSNSのアカウントを持ち、積極的に発信をしています。ギルマイがヘント~ウェヴェルヘム優勝直後から数千人単位でフォロワー数が増えたように、インパクトある走りひとつでその注目度は一気にアップします。ぜひ、今からエリトリア人選手たちのアカウントをフォローして、レースでの活躍に思いを馳せてください。
2022年4月時点での、エリトリア人トップ選手のアカウントを紹介します。
エリトリアの選手の強みは、その身体能力にあると言われています。並外れた心肺機能と、シャープな体つきは、険しい山々を駆け巡るロードレース向き。さらには、瞬時のスピード変化を可能にする瞬発力も兼ね備えています。世界で結果を残しているテクレハイマノットやベルハネは、山岳でライバルを引き離すだけの登坂力と瞬発力を持ち合わせる選手。また、平均時速40キロ以上、速い時では時速60kmにまでなる平坦のコースにも対応するだけのスピードもあり、オールラウンドに活躍しています。
一方で、歴史と伝統を誇るロードレースの世界において、エリトリアは新興国と見られているのが実情です。強い選手が次々と出てきているものの、まだまだ経験が浅い点は否めません。
今後ヨーロッパをはじめ、世界各地でのレースに出場して、
可能性を広げていく必要があります。
自転車競技はエリトリアの国技だけに、国民の注目度の高さは日本をはるかに上回ります。アフリカの大陸選手権や、ツール・ド・エリトリアが開催される際は、多くの観客がコースに足を運びます。そこでエリトリア人選手が優勝したとなれば、ゴール地点はお祭り騒ぎになるほど。
国際大会やヨーロッパで活躍した選手たちは、帰国した際に凱旋パレードを行うなど、トップライダーともなれば国民の誰もが知る存在となるのです。
今後、エリトリア人選手の活躍を目にし、耳にする機会が多くなることは間違いありません。そこで、彼らの走りを見る、または知る方法をお知らせします。
実際に彼らが出場しているレースを現地で観戦するのが一番ですが、日本国内のレースに参戦することは稀なので、テレビやWebサイトが頼りになります。
テレビは、スポーツ専門チャンネル「J SPORTS」で有名レースの放映が行われています。こちらは、スカパーまたはケーブルテレビに加入することで視聴することが可能です。
J SPORTSホームページ http://www.jsports.co.jp/
Webサイトは、競技性の高いものから、自転車を通じてコミュニケーションを図るポータルサイトまでありますが、以下のサイトを個人的なおすすめとして記しておきます。
シクロワイアード http://www.cyclowired.jp/
バイシクルクラブ https://funq.jp/bicycle-club/
サイクルスポーツ https://www.cyclesports.jp/
「シクロワイアード」は、競技全般に精通したサイトです。また、「バイシクルクラブ」「サイクルスポーツ」はともに日本の老舗サイクルメディアで、競技のほか、自転車を通じた人と人とのつながりや、イベント開催にも力を入れています。
ぜひ、ロードレースでの彼らの活躍を通じて、エリトリアがより身近な国になってほしいと願っています。
文/サイクルライター・コラムニスト 福光俊介
thesyunsukefukumitsu.jp
Twitter: @sukecycle