2010年5月28日
2010年5月24日の第19回独立記念日式典において、イサイアス大統領が下記の演説を行いました。
駐日エリトリア国大使館
国内そして国外の同胞のみなさん
今日の参加者そしてご来賓のみなさま
みなさま
おめでとう!愛国心豊かな、信頼にたるエリトリアの国民、そしてエリトリアのパートナーや友人のみなさん。19回目の独立記念日にあたり、わたしは非常に充実を感じており、私たちの中におられる来賓に加えて、この祝典を組織してくれた人々や祝典に彩を添えてくれたエリトリアの人々に深い感謝の意を述べたいと思います。
みなさん
19年間というのは、独立国の寿命の中では長い期間ではありません。このような長さの期間は、本当の主権・独立国家を築くプロセスにおいては、それほど長い時間ではありません。しかしながら、この19年間で展開してきた成果や発展をみてきますと、この19年間というのは、まちがいなくこの長さ以上のものを表しています。とくに後半の12年間は、この国が直面した大変な難題を考えれば、大きな成果があげられてきました。終わったばかりの年に対しても同じことが言えるでしょう。
本題に入る前に、2009年の成果からはじめたいと思います。これに関連して、いわゆる“制裁”という、最近流布されている、エリトリア国民と政府に対しての策略について述べたいと思います。
基本的にこの問題はいかなる合法性も欠いており、本質的にはその他の主要な根本的問題を糊塗するために計画されたものです。ですから、適切な道筋から外れることにより、問題を意味のない方向へ曲げているのです。そのようなものとして、エリトリアの国民と政府は、謀略に対して実質共に断固たる拒絶を貫いています。筆頭として、我々は正式に、国連安全保障理事会に対して以下のように異議を申し立てています
1.いったい何が、わたしたちが非難されている理由なのか? 2.非難しているのは誰なのか? 3.誰が仲裁人で、だれが判事なのか?そして彼らの法的権限と方法論はどういったものか? 4.なぜわたしたちの自己防衛の権利は尊重されないのか? 5.非難やそれを言い立てている人、その口実が何であろうと、独立した公正な場での自己防衛の権利は尊重されるべきであり、そうすることで、この問題に事実と法的見地と正義に基づいて私たちは対処できるのです。また、私たちは、いずれの非難も法的見地に基づいておらず、むしろ、クリスマスという特別な日の前夜に故意にぶつけられた政治的な戦術であるということに気付いています。
みなさん
そのような訳で、みなさんがこの数日来耳にしてきたように、TPLFの指導者と協力者は、彼らの“非難”を驚くような不正なやり方で安保理に提出しました。
基本的に、一連の問題の論点は、うわべだけの陳腐な非難についてではなく、単純な論理と法的方法論についてのものです。ですから、もし“非難”が問題を実証することなしに、ただ提出されただけのナンセンスなものであったとしたら、どうやって、あるいは何に基づいて、安保理は決議を採択したのでしょうか。すでに判決が下された後に、告訴を受け入れるなどという例があるのでしょうか?あのように単純で人をばかにした行為は、安保理自体にとっての恥ではないのでしょうか?安保理はこの件についてどう思っているのでしょうか?
この謀略の筋書きは、結局は、荷車を馬の前につけたような可笑しなもので、そのプロセスにおいては、一人の原告、目撃者、判事、警察が登場するだけで、何も目新しいことはなく、悪意を持った原告と仲間の嘘吐きたちの破綻をさらしてみせただけの出来事でしかありませんでした。さらに、これにより安保理はその品位が損なわれ、恥をかかされましたが、一方で、エリトリアの国民と政府にはかえって高いモラルがもたらされ、決議に対する法的国民的な断固たる拒否という決意は強化されています。
みなさま
こういった恥ずべき無謀な行いにも関わらず、今述べてきたことを考慮することで、事態に対する正しい理解が得られるかと思います。では、主な話題へ移らせていただきたいと思います。
12年前、国境紛争が扇動され悪化させられたということが思い出されるべきです。大規模な介入を含む法的仲裁プロセスに続いて、2002年には裁定がなされました。しかし、いまだにそのエリトリアの主権領土は、他国の占領下におかれています。もし、仮にも、国連安保理が国連憲章を尊重するのと同様に、国際法や国家主権の尊重に加えて、法的義務を尊重し安定を推進する立場に立つならば、なぜわたしたちに対しては公正さを確保することに失敗してきたのでしょうか?なぜ、彼らはエリトリア・エチオピアの国民双方を人質にして問題を行き詰らせたままにし、その一方で、同時に、アフリカの角地域を混乱と破壊の中にさらす必要があるのでしょうか?同様に、なぜ、根本的な問題を隠すために、根拠のない申し立てを捏造しようとしたのでしょうか?この問題は、いかなる深い解析も必要とせず、素人さえ欺くことのできないあからさまな犯罪であることは非常に明白です。
それにもかかわらず、エリトリアの主権領土が他国の占領下におかれているという問題は、アフリカの角および周辺地域の広い視点から隔てて考えるべきではありません。ワシントンの代々の政権は、地域ごとに彼らの傀儡をたてる危機管理政策によって、この地域を継続的な混乱と破壊状態にさらしてきたのは、よく知られた事実です。20年以上にわたって目撃されてきた不安定と破壊は、この事実を十分に裏付けています。この意味において、ソマリアは、同じ方面筋が、国家と国民を、過去20年間にわたる膨大な人的損失と財産の破壊を含む政治的カオスと内戦にさらしてきた典型的なケースです。さらには、直接の軍事的介入と侵略により、膨大な数のソマリア国民が避難せざるをえず、信じ難い逆境と非人間的な犯罪を生み出してきました。ソマリアでは今も犯罪を隠蔽しようという試みが行われており、それがソマリアの人々の窮状を広げる結果になっています。彼らの窮状は、独立機関によって調査され、犯罪者には裁きが与えられるべきです。
危機管理という政治的ゲームは、ソマリアだけに限られたことではありません。間接統治あるいは代理統治という理論に基づき、代々のワシントン政権は、戦略的にアフリカの角の国々を特別な利益集団との主従関係の中に組み込み、その国民たちが発展と安定を得ることを阻害してきました。アメリカ政治とその代理人である諸政権が諸国において国内混乱を引き起こすために行ってきた政治的工作や謀略は、軽視されてはならない犯罪行為です。
みなさん
過去20年間、ことにこの12年間、TPLFによるエリトリア主権領土への非合法的な占領をはじめとし、おわりない経済的そして政治的謀略、あからさまな軍事攻撃、メディアおよび外交における中傷キャンペーンがわたしたちに対して行われてきました。しかし、エリトリア国民と政府は、限られた資力にも関わらず、やってくるすべての難題を克服しようとし続け、その結果、明らかに成功してきました。今日、わたしたちが目にしている敵側の増大するフラストレーションは、わたしたちの揺ぎ無さがもたらしたものです。
この20年間の、アアフリカの角一般およびソマリアにおける直接介入あるいは代理介入による謀略行為や憎悪は、完全な敗北に終わっただけでなく、ひどい状態からさらに悪い状態へと、事態を悪化させてしまいました。ソマリアに、二つのいわゆる“暫定政府”を据え付けようとした失敗を受けて、同じ勢力がいま、地域的また国際的な援護を与えることによって、2006年に彼ら自身がモガディシュから追討した“イスラム勢力”を盛り立てようとしています。現在のいわゆる暫定政府の状況は、明らかに新たな失敗を作っています。
彼らの代理人である政権や派閥を延命するために作った虚偽の装飾とともに、政治、軍事、外交、プロパガンダへの助成は、単に彼らのフラストレーションを増やすだけでした。
こういった事実や他の国際的な紛争を考えると、問題の重要性と同時にこの問題により引き起こされた不安の程度を理解することは難しくないでしょう。「言い訳は罪そのものよりも悪い」というアラビアのことわざにあるように、犯罪そのものより悪いのは、エリトリアをこういった間違った政策の原因や犠牲者にしようとする試みです。
みなさま
昨年の同じ機会に、私はこう述べました;今までの彼らの数々の不正は背後に置き、わたしたちが20年間の間に得た経験と、ワシントンの新しい政権による“Change”という約束を鑑みて、エリトリアはオバマ政権との建設的な関与への準備ができていると。
建設的な関与という政策は、わたしたちが何のアクションも起こさない消極的な状態に変わるということを意味していたのではありません。こういった政策を追求する中で、わたしたちは直接的なアプローチでの関与を考えていたのであり、ロビー活動や仲介人を通してとは考えていません。この建設的な関与という政策は、適切な認識を必要とすることをここに記しておかねばなりません。そうすれば、わたしたちの実践的なイニシアティブが当然のことではないということ、またこの政策が、恐喝や小細工という試みを引き起こすべきではないということがわかります。
一日で判断を下すのは早計でしょう、というのも、特別な利益集団はいかなる種類のchangeにも反対であるのは明らかで、コンプライアンスとしての私たちの建設的な関与を誤解しているようなので、彼らはわたしたちの努力に対して、不意打ち攻撃を仕掛けたり、妨害したりし続けています。また別の機会に、こういった計画の詳細については議論しましょう。しかし、今日のところは、私たちはこういった妨害にも関わらず、建設的な関与への努力をやめないということを断言しておきます。
みなさん
この機会に、来る年の開発計画とワーク・フレームについて話をはじめましたが、時間の関係上、先に述べたような問題に焦点をあてて話してきたため、プログラムについては機会を新たにします。
しかし、全般的にいえば、食料安全保障、インフラ開発、社会サービスの用意のために生産的な投資をしていく計画であり、実施能力を強化するのと同様に、開発基金を増大させることによって、経済成長を最優先化していきます。同様に、生活の質と費用へのプレッシャーとなっている外的・内的要素をやわらげる計画が進行中です。また、全国で、持続可能な解決策をもたらす種々のプロジェクトを実施していきます。
みなさん
この機会に強調しておくべきもう一つのことは、国連安全保障理事会の2009年12月23日の“クリスマス・イブ”決議に対して、国内国外でエリトリアの人々が広範にまた断固とした態度で行っている抗議デモのことです。断固とした怒りと抗議の表明は、エリトリア人とエリトリアの友人たちによりだんだんと高度に組織化され発展してきたが、この抗議デモにより、国民と指導者の間に溝を作ることでエリトリアを崩壊させようとする試みがまったく無益であることが明らかになってきました。また、安保理決議は、恐怖と不信を煽るためのものであるとも明らかになってきました。安保理決議は、かえって、人々のプライドと動機にはずみを加える結果となっています。そして、この機会に、エリトリア人全体が、いつものように、正当に報いられるようにとの願いを表したいと思います。
来年には、この不屈の精神力が、さらなる組織化をともなって、あらゆる難題を克服し、国の開発目標を満たす格別な成功を記録することを確信しています。夏の良い雨のご加護のもと、この気合いがまた、農業生産増大における助けにもなっていくでしょう。
戦没者たちに栄光あれ!
大衆に勝利を!
※本翻訳はティグリーニャ語版からのものです。
President Isaias' Address To the Nation On The Occasion Of the 19th Anniversary of Independence Day
Compatriots inside the country and abroad
Participants and Invited Guests
Ladies and Gentlemen
Congratulations! to the patriotic and stanch Eritrean people, as well as partners and friends of Eritrea. Expressing my satisfaction on the occasion of the 19th anniversary of Independence Day, I would like to extend deep appreciation to those who organized this auspicious event and to the Eritrean people who provided the celebrations special color, in addition to the guests amidst us.
Ladies and Gentlemen
19 years do not constitute a long period in the life of independent countries. Such a span of time is not that long in the process of building a real sovereign and independent nation. However, if we look at the accomplishments and developments that unfolded over the past 19 years no doubt represent much more. The latter 12 years in particular witnessed great accomplishments, taking into account the very trying challenges the nation encountered. The same applies to the year that just ended.
Before proceeding to the main issues, let me begin with the accomplishments in 2009. In this connection, I would like to refer to the so-called “sanctions” maneuvers against the people and Government of Eritrea disseminated recently.
The issue basically lacks any legality and is essentially designed to cover up other main and fundamental issues, and thereby diverting matters to meaningless direction through derailing the appropriate path. As such, the people and Government of Eritrea dealt resolute rebuff both in letter and spirit to the conspiracy. On top of that, we have officially challenged the Security Council as regards: 1. What the accusation leveled against us is all about? 2. Who the accuser or accusers are ? 3. Who the arbitrator or judge is? What about its legal authority and methodology? 4. Why our right to self-defense has not been respected? 5. Irrespective of the accusation, its authors and their excuses, our right to self-defense in an independent and just forum should be respected so as to ensure our determination to deal with the issue on the basis of facts, legality and justice. And this because we are well aware of the fact that there exists no accusation based on legal ground, but rather a mere political gimmick deliberately resorted to on the eve of specific holidays.
Ladies and Gentlemen
Hence, as you have just heard in the past few days, the TPLF, its masters and collaborators have submitted their ‘accusations’ to the Security Council in a surprisingly “devious” manner.
Basically, the whole issue is not about hollow and stale accusations, but rather about a simple logic and legal methodology. This being the case, how then or on what ground the Security Council adopted a resolution without any accusation submitted to it and without verifying matters, if the so-called accusations are the very rubbish ones just submitted? Is there any instance of accepting accusation after already giving verdict? Doesn’t such a naïve and contemptuous practice constitute a shame to the Security Council itself? And what does the Council has to say on this?
Even though the drama amounts to putting the cart before the horse thus becoming the sole accuser, witness, judge and police in the process, it nonetheless contains nothing new but represents an incident that exposed the bankruptcy of the vicious, accuser and liar parties. Moreover, it puts the Security Council to shame through undermining its dignity on the one hand, while placing the people and Government of Eritrea on high moral ground, and thereby reinforcing the legal national resolute rebuff.
Ladies and Gentlemen
In view of the fact that referring to why all such shame and recklessness leads to properly identify the problems and hence obtain correct understanding, let me now proceed to the main issues at hand.
It is to be recalled that the border conflict was instigated and aggravated 12 years ago. Following a legal arbitration process involving massive interference, a ruling was given in 2002, and still our sovereign territories remain under occupation. If at all the Security Council stands for respect to legality and the promotion of stability, besides advocating respect of international law and the sovereignty of nations, as well as the UN Charter, why then did it fail to ensure justice for us? Why the need for keeping the issue in a stalemate, besides holding hostage both the Eritrean and Ethiopian people, while at the same time exposing the Horn region to turmoil and destruction? By the same token, why try to concoct baseless allegations and excuses in a bid to cover up this fundamental issue? It is crystal clear that the issue is a naked crime that does not call for any profound analysis and one that could not deceive even naïve elements.
Nevertheless, the issue of sovereign Eritrean territories under occupation is not to be viewed in isolation from the broader picture of the Horn region and its developments. It is a well known fact that successive administrations in Washington resorted to expose the region to a state of continued turmoil and destruction, as part of their policy of crisis management through appointing regional puppets. The instability and destruction witnessed over the past 20 years fully attest to this fact. In this regard, Somalia is a typical case in point in which these same quarters exposed the Somali nation and its people to political chaos and civil strife, including massive human loss and destruction of property for the past 20 years. Moreover, direct foreign military intervention and invasion gave rise to the massive displacement of Somali nationals resulting in unimaginable adversity and inhumane crimes. Despite the continued attempts to conceal the crimes being committed in that country, the prevailing sad plight of the Somali people should be examined through an independent body and thus bring the criminals to justice.
There has been the continued attempts to conceal the crimes being committed in Somalia, and (that is why) sad plight of the Somali people is prevailing. And their sad plight should be examined through an independent body and thus the criminals should be brought to justice.
The political game of crisis management is not limited to Somalia only. Based on the theory of indirect or substituted administration, successive Washington administrations had tactically turned nations into the ownership of special interest groups in a bid to obstruct peoples from achieving progress and stability. Such political maneuvers and conspiracies on the part of US Administrations and their agent regimes to set off domestic turmoil in different countries is a crime not to be viewed lightly.
Ladies and Gentlemen
In the past 2 decades, particularly the past 12 years, on top of the illegal occupation of our sovereign territories by the TPLF regime, endless economic and political conspiracies, acts of open military aggression, media and diplomatic smear campaigns have been waged against us. But the proud fact remains that the people and Government of Eritrea, despite their limited resources, kept on overcoming all the challenges that came their way and emerged triumphant by all accounts. The growing frustration we see today on the part of enemy quarters is thus a result of this steadfastness.
The acts of conspiracy and hostility through direct interference and proxy in the Horn of Africa in general and Somalia in particular over the past 20 years did not only end up in utter failure but also aggravated from bad to worse. In the wake of the failure of installing two so-called ‘transitional governments’ in Somalia, the same forces are now trying to bolster up “Islamists” which they drove out of Mogadishu in 2006 through giving them regional and international cover. The situation of the current so-called transitional government is also self-evident which constitutes another failure.
The political, military, diplomatic and propaganda subsidies together with the cover-ups and embellishments they make in an attempt to prolong the stay in power of their agent regimes and cliques merely adds to their growing frustration.
Taking into consideration these and other international conflicts, it would not be difficult to discern the gravity of the problem and at the same time the extent of the anxiety caused by the problem. Just as the Arab saying goes "the excuse is far worse than the crime", it is the attempts to make Eritrea the cause and victim of the failure of such misguided policies that is an even worse crime.
Ladies and gentlemen
On similar occasion last year, I had stated that putting behind previous injustices, Eritrea was ready for constructive engagement with the Obama Administration, in consideration of the experience we had acquired over the past 20 years and the promise of "change" by the new administration in Washington.
Our proposed policy of constructive engagement did not mean that we would recede into a passive state without taking any action. In pursuing such a policy, we had sought to engage in a direct approach and not through lobbying or mediators. It should be noted here that it requires apt perception so that our practical initiative is not taken for granted or gives rise to attempts of blackmail or manipulation.
Although it is too early in the day to make judgments, since the special interests groups are clearly against any kind of change and seem to have misinterpreted our initiatives for constructive engagement as compliance, they continue to ambush and hinder such efforts. I will discuss the details of these schemes on other occasions, but for now let me assure you that we will not suspend our efforts for constructive engagement regardless of obstructions.
Ladies and Gentlemen
Although I had set out to talk about our development plans and work frame for the coming year on this occasion, in the interest of time I have focused only on briefly explaining the issues I mentioned earlier and will postpone the discussion of our programs for other occasions.
Generally however, we will make productive investments on achieving food security, infrastructure development, provision of social services and prioritized economic multipliers by augmenting our development fund as well as strengthening implementing capacity. Similarly, plans are underway to ease the external and internal factors that have contributed to the pressure on the cost of living and quality of life. We will also implement different projects that would bring about sustainable solutions throughout the country.
Ladies and Gentlemen
Another matter that should be given due emphasis on this occasion is the extensive and resolute demonstration of opposition by the Eritrean people inside the country and abroad against the Security Council's 'Christmas Eve' resolution on 23/12/2009. The determined displays of anger and opposition that gradually developed into highly organized demonstrations by Eritreans and friends of Eritrea made it clear in no uncertain terms the futility of the attempts to disrupt Eritrea by creating rifts between the people and the leadership or that the sanction will serve in instigating fear and mistrust. On the contrary, it served in giving rise to strength and vigor that added impetus to their pride and motivation. And I would like on this occasion to express my wish that the entire Eritrean people as always reap their due reward.
I am certain that next year this unyielding drive will with further organization be able to overcome all kinds of challenges and register particular success in realizing national development goals. This drive will also be instrumental in boosting agricultural production aided by good summer rains.
Glory to Our Martyrs!
Victory to the Masses!
Speech of President Isaias Afwerki at the 19th Anniversary of
Independence Day