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Albergo Italia
1899年に建てられたアスマラで最も古い石造建築物の一つで、アスマラ最初のホテルです。かつてKeren Hotelと呼ばれた時代もありましたが、近年再び元の名前に戻りました。現在は高級ホテルとして営業中。
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1899年に建てられたアスマラで最も古い石造建築物の一つで、アスマラ最初のホテルです。かつてKeren Hotelと呼ばれた時代もありましたが、近年再び元の名前に戻りました。現在は高級ホテルとして営業中。
1910年代に建てられた3階建ての事務所で、元々はEritrean Salt Companyであった。イタリアのMilitary Union、Fascist Youth Movementに占拠された後、ローマ銀行となりました。
1910~1920年代につくられた広場で、ナクファアベニューとケレンストリートが交差する地点にあります。広場を囲む各方向に古いイタリア建築が残っています。広場の東南にある建物は、1922年に作られ、バルコニー下のライオンの彫像や、天使ケルビムの顔の彫像などが異彩を放っています。ネオ・バロック様式などからヒントを得た、さまざまな様式の折衷であり、バルコニーの曲線が美しい鉄柵などにはアールヌーボーの影響も見られます。
1890~1910年代につくられた郵便局広場は、アスマラの中心に位置する重要な広場です。当時の軍隊キャンプからほど近くつくられ、後には、都市計画のグリッドの重要な点となりました。広場の南側に建っている緑色の建物が、中央郵便局のオフィスです。地上階には、ローマ風アーチのポーチがあり、その上には、簡素化されたネオクラシカル様式のペディメント、正面にはミラノ製の時計が据えられています。建物内には、重厚な石造りの階段、やアールヌーボー調の鍛錬鉄製の柵などが当時の優雅な雰囲気を伝えています。
1895~1905年あたりに作られたと考えられています。当時、アスマラに到着したイタリア人たちを魅了したムーア様式からの影響が見られます。1930年代にはイタリア銀行となり、エチオピア植民地時代には警察署になりましたが、独立後はエリトリア銀行の本店となりました。シンメトリーが際立つファサードには、地上階には先が尖ったアーチの窓、2階には長方形の窓が作られた美しい作りで、アスマラのネオ・ゴシック様式の見本となっています。