かつてエチオピアのハイレ・セラシエ皇帝が、エチオピア海軍士官学校の卒業式のために毎年マッサワを訪れた際に使用したため、皇帝の宮殿と呼ばれている。宮殿が建てられたのは、皇帝の時代より前で、トルコの支配者によって建てられ、その後エジプト人、イタリア人へと所有者が変わった。マッサワのうだるような暑さをしのぐため、建物は、通気をよくする広々としたアーチやドームがつけられている。1980年代後半のエチオピア共産党政権とエリトリア人民解放戦線の戦闘の際に、宮殿は爆弾で爆破されてしまった。現在は、建物はエリトリア政府の所有で、かつては修繕して博物館にする話もあったが、現在も廃墟のまま保存されている。